子供の頃、葬式まんじゅうが実はとても楽しみだったんだと言う話を、おじいちゃんやおばあちゃんから聞いたこと、ありませんか。
今では大きな葬式まんじゅうを出す風習はだんだんと行われなくなってきています。が
それでも仏事に和菓子屋が活躍するしきたりは、まだ残っています。
仏事に関する和菓子ことをお聞きしたのは、神奈川県藤沢市にある御菓子処 丸寿 のご主人 岡崎秀一様 です。
和菓子が屋台や出前だった時期
江戸時代ころの和菓子職人さんは、前掛けをして屋台をひいたりして、店を構えていないのが和菓子屋の始まりでした。
つまり、まだその頃は、葬式に供される和菓子も、凝った道具でつくる菓子ではなく、葬式が行われるその場に職人が出向いて作るものだったのです。
飾り大福の作られ方
今では見られることが少なくなりましたが、お葬式のときに用意される、飾り大福のセット。
これも、道具を使わず、職人が現地でへら1本で仕上げることができる作り方が、この葬式のときの飾り大福の原型です。
いまも、昔ながらの作り方は、この素朴な作り方を踏襲されています
例えば道具は、いまでも、へら1本と、手だけです。
材料も、あんこと餅のみです。
色も、黄色と赤色、そして青のみで作られています。
また餅も、黄色と赤色、青色の3種類をつくり、これをまぜることで5つすべての飾り大福が出来上がります。
作り方の順番も、少ない素材でうまく出来上がるように工夫されています。
まず一番はじめに、右下の米(よね)が作られます。
白い大福です。米(こめ)を表します。
次に、りんごの大福をつくります。
白にくちなしの色を足して作った黄色の餅で大福をつくります。
そこに、赤い紅を吹き付けて、出来上がりです。
これは真ん中に置かれます。
三番目に、左下に置かれる椿が作られます。
りんごで使った黄色いくちなしでしべをつくり、紅を使って花弁をつくります。
そして1番最初に使った米(よね)と、椿の赤を混ぜ、薄ピンク色にします。
これで干し柿ができます。干し柿のシワの部分は三本指でつけます。
ヘタの部分は、あんこを丸めたのと、黒文字とで表現されます。
干し柿は、右肩上にの置かれます。
最後にしぶい茶色で作る、松が作られます。
これはりんごと、椿と、米(よね)と、干し柿につかった、すべての色の大福餅を合わせると、渋い色になります
これが、葬式まんじゅうの原型と呼ばれています。
いまでは、ふつうに白い大福を5つ並べる地域のところもあります。
春日饅頭
時代がすすみ、小麦粉を膨張剤で膨らませる技法が一般く出回るころにでてきた形です。
もともとは、お通夜に集う人に振る舞った饅頭と言われています。
シキミやヒノキなど、手近にあった葉で焼いたのが、今の春日饅頭の焼いた模様の元になったと言われています。
青白饅頭
上用饅頭の技術が浸透し、和菓子屋で作ったものを配る風習が広まったと同時に、広がった和菓子と言われています。
上用饅頭の形が、いまのように腰高の形になったのは大正デモクラシーから昭和の時代にかけてと言われています。
その頃の小豆餡は、かなり甘かったとようで、砂糖が多いため、かなり柔らかな餡でした。
あんこが柔らかいと、腰高の形を作りにくく、上用饅頭を作る技術には、非常に高度な技術が必要でした。
そんな技術の高い、高価なものを、菓子屋に頼んで作り、配ることが風習としてでてきたというわけです。
いくつ配る?
最近は、甘いものの需要がすくなくなり、葬式饅頭もだんだん見られなくなってきたと言われます。
なので、作るとしても、大きなものでなく、小さなものを。
そして、5つ出すのではなく、2つお配りする、というところもあります。
葬式饅頭は、古いものを懐かしく思って召し上がっていたってだける方がいらっしゃるから、なるだけ昔ながらの形や味を変えないようにしたい。
そういった和菓子屋さんの思いが伝わる商品です。
葬式饅頭は、通常は店頭にはありません。
特注品です。
不謹慎といわずに、甘い、大きな饅頭を、もし興味があられたら、特別に注文されてもいいかもですね。
もしくは、葬式饅頭が配られているところに出くわしたら、ぜひ一口あなたも、おすそ分けもらってみてください。
故人の旅立ちを一緒によろこんでくださる方として、きっと、ご親族から喜ばれることでしょう。
執筆 和田美香
写真素材提供 御菓子処 丸寿
情報提供 御菓子処 丸寿 岡崎秀一様
御菓子処 丸寿
(運営 有限会社丸寿菓子店)
神奈川県藤沢市羽鳥3-20-9
tel.0466-36-7938
http://www.shonan-sh.jp/shop/marusu