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小倉大納言を里帰りさせた井筒ッ八橋本舗の心意気から学ぶ | Azuki - Red beans webmagazine

小豆と和菓子が主役のライフスタイルマガジン

小倉大納言を里帰りさせた井筒ッ八橋本舗の心意気から学ぶ

小倉大納言を里帰りさせた井筒ッ八橋本舗の心意気から学ぶ

ナチュラル・スマートに生きる女性のための小豆物語をお届けする、azuki magazine。

テレビドラマで、バリバリのキャリアウーマンの主人公が、歴史好きの女子という設定で、どうして歴史が好きなのかと問われたとき、こう答えていました。
「歴史に没頭していると、自分はなんてちっぽけな存在なんだと思えてくるから、また元気が出てくる」と。
自分を歴史のなかに置いてみる。
そこから出てきた想いを、未来へ進む糧にする。
そんな進み方が、歴史と付き合うときに生まれてくる。

今回は、小豆と和菓子の歴史を、現代に里帰りさせ、地元地域とともに小豆を未来へつなぐ活動をひろげておられる井筒八ッ橋本舗さんに、お話しをお聞きしてきました。

老舗は創業が古いから老舗なのではなく、いつも、だれよりも歴史のながれの中で今を俯瞰的にみつめ、そして未来も見据えているから老舗でありつづけるのだと感じました。

人生も、今も過去もまるごとうけいれて、未来へとすすむ糧にする、そんな未来志向の歴史とのつきあい方を、井筒八ッ橋本舗のお話からみつけてみませんか。

小倉山のふもとの小倉大納言の畑で、お話しをしてくださったのは、株式会社井筒ッ八橋本舗 外商部 部長 津田 陽輔様です。

小倉大納言の葉、大きかったです。

 

「井筒八ッ橋本舗さんが、京都の在来種である小倉大納言を、現代に再び復興されたと伺いました。詳しい経緯について教えてください。」

昭和23年ごろに、6代目の津田佐兵衞が、京都の和菓子を、地域と共にさらに盛り上げたいと考え、歴史をひもといたのがきっかけでした。

小倉餡は、もともとこの地に住んでいた、和三郎という菓子職人が、809年に空海の持ち帰った小豆の種子を栽培し、そこに御所から下賜された砂糖加え、煮詰めて餡をつくり、これを毎年御所に献上したものから広まったという伝承があります。
和三郎の努力で、小豆が洛西を中心にひろく栽培され、江戸時代には茶道菓子や、ハレの日の料理にも用いられるようになっていました。

つまり、この口伝では、小豆に砂糖を加えてつくる小倉餡づくりは、和三郎が、初めて、小倉山のふもとでおこなったことから広まったということになっています。

小倉山のふもとの二尊院さん。

わたしたちは、この餡が生まれた歴史を紐解くだけでなく、さらに、栽培が途絶えていた、和三郎が広めたという小倉大納言の栽培を、地元の協力をえて復活する活動もしてまいりました。
京都で生まれ育った小豆をつかった菓子を、京都の人にももっと知っていただいて、地元とともに、地元生まれの小豆である小倉大納言を広げていこうという取り組みです。

わたくしどもは、創業が1805年です。

和三郎が砂糖を小豆に加えて餡をつくったという、菓子の原点ともいえる伝承が、この小倉山のふもとにあったこと、そして小倉大納言がこの地の由来の小豆であること。この2つを、より多くの人に知っていただきたいと考え、わたくしどもが創業200年を迎えた2005年に、小倉山のふもとの二尊院さんに顕彰碑を建てさせていただき、小倉餡発祥地の顕彰式を毎年3月に開かせてもらっています。

二尊院の敷地内にある、「小倉餡発祥之地」をつたえる顕彰碑

 

「どうして、そのような、歴史をひもとく活動されているのでしょうか」

菓子は、人と人との縁をつなぐもの、人と人とのあいだで話に花を咲かせるものとしてあるのが、本来の姿です。

京都は観光地で、土産物屋としてのわたくしどもは、京都を訪れてくださる方が求めるものをつくってゆく使命ももっております。

京都が、これからもたくさんの方に来ていただいて、よかったな、美味しかったなといっていただくには、古くからの京都の良いところを生かすだけでなく、未来に向かっても、地元とともに京都をよりもりあげる活動もしてゆきたい。

そのために、土産物屋であり菓子屋であるわたしたちができることは、やはり、菓子から京都をもりあげることと考え、小倉山のふもとから生まれた和菓子の原点の伝承と、地元生まれの小豆に想いをたくしたのです。

そして、和菓子の原点である小豆とともに、和菓子そのものも盛り上げたいと考えたからです。

 

小倉大納言の大きさが伝わります。

「歴史をひもとく中で、ご苦労された点はどんなところでしたか」

品種の選定や種豆をどう増やすかなどの技術的なことも大きかったです。

1番大きかったのは、歴史もあり景観も守らなければならない地域とどう連携し、地域の皆さんと共に手を携えて地元ブランドを里帰りさせるかということに時間がかかったようです。
京都在来種の小倉大納言を、この景観地である小倉山のふもとでどう栽培していくかということの調整が大きかったと聞いています。

そんな課題をのりこえ、小倉大納言をつくるという活動は、いまでは、小倉山のふもとでわたしたちが手掛ける以外でも、地域の人の手によっても育てられるようになり、また、いまでは、亀岡でも栽培をしてくださる農家さんができ、収穫量も増えました。

小倉大納言の畑の前にかかげられた「復元栽培」の案内

おかげで、小倉大納言を使った菓子づくりのために必要な収穫量を確保することがいまでは可能になりました。

 

「小倉大納言の味の特徴はどんなものですか」

香りがしっかりしています。
また粒が大きく、小豆らしい、食べ応えがある、とも言われます。つぶし餡にするのがもったいないぐらい、存在感があります。

 

「小倉大納言で、叶えたい未来はどんな世界ですか」

小倉大納言をつかった、「京小倉」という菓子のブランドを立ち上げています。

小倉大納言をつかった、「京小倉」ブランド菓子のひとつ。この最中を友人にお土産でもっていったら、マカロンと間違えるぐらいかわいい、と食べてくれました。

みなさんご存じのように、甘い豆を食べない文化圏からのお客様も京都は多いです。そんな方にも、「これなに? おいしいやん、なんていうの? へえー、小豆っていうの? そしたら、昔からある和菓子ってのも食べてみよかな」っていわれるような、和菓子の枠にとらわれない、おいしい菓子にもしていきたいなと考えています。

そのために、いろんな分野の専門家の方と組ませてもらって、技術やアイデアを、どんどん試して、世にだしてゆきます。

「京小倉」から、あずきやあんこを知っていただいたり、ルーツをたどる話しを知っていただいたりして、より、食べることの喜びと楽しみをよりひろげるストーリーをきっかけに、世界にも新しさ美味しさを伝えられたらと考えています。

 

津田様、貴重なお話しをありがとうございました。

 

1000年も以上前の人は、誰と一緒に、どんな風にこの小倉大納言の菓子を食べたんだろう。
そしてこれから先も続くだろう未来の中で、未来の人もきっと大切な誰かと一緒に食べるんだろうな。

今、わたしたちもそんな流れの中でにいることにふと思い至らせてくれる菓子。

だからこそ、いまこの時間を大切にしようという思いを、歴史から里帰りしてきた小倉大納言はもたらしてもくれるんだという風に感じました。

あなたは、歴史のつまった小倉大納言をどんな想いで食べますか。

 

株式会社井筒ッ八橋本舗様 紹介

文化二年(1805年)、初代津田佐兵衞が業を起こし、そこから井筒八ッ橋本舗の歴史がはじまる。
当時祇園の茶店で人気を博していた堅焼きせんべいが、箏曲の祖・八橋検校の遺徳を継承した琴姿の菓子「八ッ橋」で、これが「井筒八ッ橋」として今に受け継がれ、井筒八ッ橋本舗の原点となっている。
京都嵯峨発祥の「小倉餡」を「生八ッ橋」で包んだ小倉餡入り生八ッ橋「夕霧」を販売。
水上 勉の代表作である小説「五番町夕霧楼」の主人公、片桐夕子に因んだ叙情銘菓「夕子」も観光客に人気の商品。
小倉大納言の小豆の風味を楽しめる、小倉餡を使った小豆の原点を楽しめるブランド「京小倉」もリリース。

 

株式会社井筒ッ八橋本舗 連絡先

祇園本店 京都市東山区川端通四条上ル 北座ビル1F
電話番号 075-531-2121

http://yatsuhashi.co.jp/

ABOUT THE AUTHOR

Azuki編集部編集長和田 美香
むくみやだるさで仕事も子育ても苦しかったとき、小豆玄米ごはんや、オリジナルの小豆シリアルを毎日食べることで、調子をとりもどす経験をする。もともと美容業界で働いていており、内面から輝く美容には、毎日の食も大切と実感していたことから、小豆のよさを世界の女性に伝える大使としてAzuki.tokyoの活動を始める。
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