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和菓子の歴史 | Azuki - Red beans webmagazine

小豆と和菓子が主役のライフスタイルマガジン

和菓子の歴史

和菓子の歴史

和菓子には、お抹茶といっしょにいただく練きりの菓子から、毎日たべたいどら焼きや大福などの気軽な菓子まで、幅広くあります。

和菓子の種類は幅広いです。

食べるシーンや、製法や、材料がぜんぜんちがうのに、なぜひとことで和菓子といわれるのか。

そう不思議におもっていたとき、和菓子の歴史を知る機会がありました。
どんな背景から生まれた食べ物かという由来や歴史を聞いていたら、日本の菓子は、まだまだこれからも発展し、和菓子の幅がさらに広がる世界を感じることができました。

ここでは、みなさまと一緒に、和菓子の歴史をたどり、いろいろなものから成り立つ和菓子の世界をみわたして、多くの材料や製法があるものが一言で和菓子と呼ばれる共通点をみつけたいとおもいます。

和菓子の歴史について、東京、日本橋の老舗和菓子店、株式会社榮太樓總本舗の細田将己 さんに、榮太樓さんがかんがえておられる和菓子の歴史を、ご講義いただいてきました。

 

古代

栗と柿

昔から、四季がある日本では、もともと木の実、たとえば柿などが、甘味として食されていました。
でも、この木の実は、柿も秋しか成らないように、その実が成る季節にしか食べることができません。
このおいしい甘い味を、季節に関わらずいつでも食べられるようにしたい。
そんな希望から、果実の水分を抜いたり、粉にして水で戻すようにしたりして、季節が過ぎても味を楽しめるような工夫が生まれてきました。

干し柿

文献ではじめて菓子に関する表現があるといわれているのは、713年に成立した豊後国風土記です。そこで初めて「もち」が表現されていおり、もち米を加工する食がすでにこの頃あったことがうかがえます。

 

遣唐使がもちかえってきた唐菓子

800年代、遣唐使が、仏教とともに奈良へ持ち帰ってきたもののなかに菓子もありました。

団喜

それは、団喜といわれ、栗や柿、あんずなどの木の実と、黒糖を混ぜてつくった中身を、小麦の皮でつつんで揚げたものでした。

このとき、日本人は、初めて砂糖に出会ったといわれています。
ただ、この唐菓子は、仏教とともにわたってきたお供え物だったそうで、庶民の口にはいるものではありませんでした。

鎌倉時代

1200年代、鎌倉から室町にかけての時代に、茶の湯の点心として羊羹が食べられるようになりました。
羊羹は漢字で、「ひつじのあつもの」と書きます。

羊羹

もともと中国では、羊の肉を煮たスープがゼラチンで固まり、煮凝りになったものを羊羹と呼んでいました。
羊羹が禅僧によって日本に伝えられたとき、禅宗では肉をたべないため、かわりに小豆を寒天で固めたもの用いたのが、羊羹の原型といわれています。

 

安土桃山時代

1500年代後半、室町時代末期から安土桃山時代の頃、キリスト教の伝来とともにボルトガルから南蛮菓子がつたわってきました。

カステラ

カステラ、金平糖、飴、ボーロ、ビスケットなどです。
当時発展した茶の湯のお茶請けとしてももてはやされ、全国各地にひろまり、その後江戸時代に日本において独自の発展をとげていったことから、いまでは南蛮菓子由来の菓子も和菓子として扱われています。

 

江戸時代

1700年頃、それまで輸入されていた砂糖も、幕府の奨励によって国産化がすすみ、日本で栽培され精製された砂糖が市中へ出回るようになりました。
いま知られている和菓子の多くは、砂糖がでまわりはじめた1700年から1800年代にかけて、レシピがほぼ固まったといわれています。
たとえば、桜餅や、今川焼、金鍔、大福などもそこに含まれます。

金鍔
金鍔

中国や南蛮など外国から伝来したものが、江戸時代に砂糖の大衆化にともない、庶民でも気軽に食べられるものへとアレンジされ発展しました。

細田さん、お話し、ありがとうございました。

 

こうして振り返ってみると、和菓子は、どれもが、中国やヨーロッパから宗教とともにもたらされたものが元になっているのがわかります。
外国から取り入れたものを、さらに独自に発展させてゆく日本の特徴は、菓子の世界にもあったのですね。
材料も違う、食べられるシーンも違う、そんな多種多様なものが一口に和菓子といわれるわけが、和菓子の由来から紐解くと、「日本で独自に発展をとげた菓子」というくくりでよみとけることが見えます。
それぞれの和菓子のルーツをたどると、日本古来のものへとたどりつくのではなく、外国とのつながりから発展した共通点がみえのですね。

 

外国とのつながりをきっかけにアレンジしてゆく菓子というくくりでは、和菓子は、いまも、そしてこれからも、世界と交流しながら和菓子の可能性をひろげてゆきつづけるのだと感じることができました。

取材協力 株式会社榮太樓總本鋪 細田将己様  http://www.eitaro.com/

専務取締役 細田将己様
専務取締役 細田将己様

取材日 Oct,20,2016
編集・執筆  和田美香

 

榮太樓總本鋪ご紹介

梅ぼ志飴
梅ぼ志飴

 

 

 

 

 

金鍔がルーツの、江戸菓子からつづく老舗の和菓子店。創業当時からの、余計なものを入れない、シンプルな材料と味にとことんこだわる理念を大切に守りながらも、変革を恐れない日本を代表する和菓子店として、梅ぼ志飴や、甘名納糖、あんみつ、果汁飴など、時代にあわせた新しい提案もくわえさらに深化しつづけています。
http://www.eitaro.com

ABOUT THE AUTHOR

Azuki編集部編集長和田 美香
むくみやだるさで仕事も子育ても苦しかったとき、小豆玄米ごはんや、オリジナルの小豆シリアルを毎日食べることで、調子をとりもどす経験をする。もともと美容業界で働いていており、内面から輝く美容には、毎日の食も大切と実感していたことから、小豆のよさを世界の女性に伝える大使としてAzuki.tokyoの活動を始める。
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